創業ストーリー

【糀との出会いは、2007年のことでした】

 

古町糀製造所の創業の発端は2007年に遡ります。私たちはもともと、新潟出身の創業者が銀座でおむすび屋の商売を営んでいました。

おむすびはお米とおかずから作られる非常にシンプルな食品です。米どころ新潟で生産される上質なお米と、それに合わせるおかずを日本全国から取り寄せて商品を作っていましたので、日夜食材探しに励んでいました。

 

あるとき、食材の勉強で新潟の味噌蔵と酒蔵を訪れました。そこで出会ったのが「米糀」。日本古来の醸造産業の現場では無くてはならない素材です。糀作りに携わる方々の肌の美しさ、そして頂いた一杯の糀。お米だけで表現され濃厚な甘さに大変驚きました。

 

当時は甘酒と言えば「酒粕甘酒」を指すことが多く、砂糖を加えることで甘みを出すものだと思っていました。ここで知ったのが「米糀甘酒」。糀の力で、米だけでこんなにも甘みを引き出すことができる、そしてアルコールも含まれていない。素晴らしい飲み物に出会うことができたと感じました。

おむすび屋の商売を始めて7年が経った頃です。これを通して様々な素材、食材について学んできましたが、最も驚いたのがこの糀だったのです。

 

そして、糀によって米が糖化された状態の栄養素の高さは点滴にも匹敵すると言います。江戸時代には、食の細くなる夏に好んで飲まれたそうです。酒屋の世界では「産後の肥立ちが悪けりゃ、甘酒飲ませ」という言葉があり、その栄養価の高さから出産前後の母親に積極的に飲ませていた、ということも知りました。

ところがそれだけ魅力にあふれたものが、当時にはあまり広く伝わっているように感じられませんでした。「どうしてだろう?」そんな疑問から糀の勉強が始まります。

 

 

【この世界は縁とタイミングだと感じます】

 

そんなことを考えていた頃に、新潟でお世話になっている方からある相談をいただきました。

「新潟のために米を使った事業を興してほしい。その本店を新潟に構えてくれないか。寂しくなった商店街に店を出して、地域を元気づけてほしいんだ。例えば、甘酒屋はどうだろう?」

それまで彼に甘酒の話をしたことはありませんでした。世の中にあふれるほどの食材があるなかで、当時一番関心を持っていた糀(甘酒)だと言うのです。「これは運命的なことだ」と感じ、その相談を引き受けることにしました。

ただ、現代でこそ「糀(甘酒)」を見聞きする機会も増えましたが、当時は「糀?」であり世間にどれほど求められているものなのかも分かりません。そして依頼された出店場所は、人通りも決して多いとは言えない商店街です。このような条件の中、お店が成立するのだろうかという不安を抱えながらではありましたが、多くの方の協力もいただき、新潟の上古町商店街という静かな場所に古町糀製造所を構えることになりました。

20097月の出来事です。

 

【人・町・産業との関わり】

 

 

私たちがお店を構える上古町商店街。昔は新潟の中心地として多くの人通りで栄えた町でしたが、創業の当時は空き店舗も多く、閉じられたシャッターも目につく寂しい町でした。

単にモノを売るだけでなく、店としてなにかできることはないだろうか?

お店の扉にはシャッターを使わず、木の引き戸のお店にしました。「店が閉じているときも美しい。」その景観がきっとこの通りを素敵にしていくだろう。そんな願いを込めてのものでした。

また何気なく店先に置いたベンチでは、見ず知らずのはずのお客様同士が座り、それがきっかけで会話が生まれる。お客様からは、「このお店に立ち寄ることが生活の楽しみになる。」そんな嬉しい言葉もいただきました。

当時は製造設備は有しておりませんでしたので、新潟の醸造蔵に依頼をして商品を作り、それを私たちが販売するという形でした。味噌や日本酒と言った醸造業界は斜陽と言われて久しく、徐々に仕事も減ってその存続すら危ぶまれる老舗がいくつもあります。

老舗で培われた技術で作られた甘酒を多くの方に届けることで、彼らにも大変喜んでいただきました。

 

糀の甘さで表現した伝統的・健康的なドリンクは、若い人にとっては新しく、昔を知る人にとっては懐かしい味として受け入れられました。そしてお店の外観、地域産業との関わり、お客様同士の繋がり・・・ それらが支持を受け、世代を問わず予想を大きく上回る支持を皆様からいただくことになったのです。

 

次のページでは「醸造蔵の承継」に関するエピソードをご紹介します