こんにちは。
古町糀製造所の小畑でございます。
このたびは当店のプロジェクトにご興味を持っていただき、また商品を手に取っていただきありがとうございました。購入者特典として、プロジェクト内に書き切ることのできなかった”甘酒情報”について本ページでご紹介します。
当初掲載に向けて作成した、推敲前の文章になりますので重複する点も多々あります。ご了承いただきお付き合いくださいませ。
夏こそ役立つ飲む点滴 ~番外編~
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「飲む点滴」甘酒の秘める夏に嬉しいパワーとは
甘酒の別名として「飲む点滴」という呼称を耳にしたことのある方は多いのではないかと思います。お米を米糀の力で分解して作られる糀の甘酒は、その製造の過程で甘みの主成分であるブドウ糖が生成されるのと同時に、多種多様な栄養素が合成されます。
ビタミンB群と呼ばれる各種成分は、糖質などのエネルギーを素早く体内に吸収するのを助け、疲労の回復に一役買ってくれます。
オリゴ糖や食物繊維などは腸内で善玉菌の活動を助け、腸内細菌叢の改善に大きな役割を果たすと言われています。
体内で合成できない必須アミノ酸類は、それぞれ円滑な生命活動の維持に欠かすことのできないもの。
これらを含め、実に350種類もの有効成分が含まれていると言われているのです。
「飲む点滴」という異名も、それだけ多様な成分を含み、また人体への吸収スピードの速い即効性の点もなぞらえて、こうした呼び名がついたと考えられています。
後述の通り、糀甘酒は江戸時代の頃から夏場の栄養補給飲料として重宝されてきました。当時は科学的な分析なども未発達。「なぜ甘酒を飲むといいのか」について明確な根拠は無かったかも知れません。それでも経験的に蓄えられた知恵として、その認識が広く根付いていたのですね。
現代の夏を乗り切るにあたっても、非常に強い味方になってくれます。
何かと食欲の細りがちな時期ですが、各種栄養素と良質なエネルギー源、さらには水分もまとめて摂取することができます。さらに塩を一振りして飲むと、よりさっぱりした飲み口になるだけでなく汗とともに失われがちな塩分補給にも役立ってくれるのです。
勤務時は毎日一杯の甘酒を飲み、またご家庭でも家族に愛用者も多い当社の職員。毎年の猛暑の中でも夏バテや熱中症の報告を受けないことは、もしかしたら偶然ではないのかも知れません。
朝晩の習慣、もしくは午後のおやつに冷やした甘酒を一杯。まだまだ残暑の厳しい季節が続きますが、生活にもお役立ていただけるものと思います。
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歴史から窺う、日本人に根差した飲料
目に見ることのできない「菌類(微生物)」の力を借りて作られる食品のことを総じて発酵食品と呼びます。
そもそもの発酵食品の歴史は非常に古い時代に遡ることがわかっています。とりわけ世界的にも古いのがワインとヨーグルト。いずれも、紀元前7000年頃(現在から9000年ほど前の時代です)には製造の痕跡が認められるのだそうです。
初期段階では、果汁や乳を保管する際に偶然に自然中の菌類が付着し、その働きでアルコールが生まれたり固形になったりと性質の変化が起こった程度のものだったと思いますが、経験則的にこの製法を完成させていったと考えられているので驚きです。
国内に目を向けますと、やはり近しい時代から果物を発酵させて酒を造るという現象は発見されていたようです。
ただ、現代に近しい「こうじ菌」の働きによって作られる食品になると一気に時代が進みます。4世紀頃(古墳時代)にコウジカビを使って作られた「米酢」がその最古のものの候補と考えられています。
こうじ菌がカビの一種だと聞くと少し驚くかもしれません。多種多様な微生物の中でも人間の活動にとって有用なものを経験的に選び、生活に役立ててきました。
「こうじ」という名称そのものも、カビたご飯を指す「カムタチ」という言葉がその語源であると考えられています。
こうじによる発酵作用の肝は「酵素」の存在です。こうじ菌はその増殖の過程で様々な特質を持つ酵素を生成します。ある酵素は米のデンプンを分解して糖分に、またある酵素は大豆のタンパク質を分解してアミノ酸に、化学組成を組み替える働きをします。
前者は甘酒や日本酒などの製造に、後者は味噌などの製造に、それぞれ役立てられています。
「甘酒」に関してはどうなのかと言うと、8世紀頃(奈良時代)に編纂された書物に、その起源と考えられる言及が見つかっています。
『播磨国風土記』におきましては、(カビが生えた米を使って酒を醸して宴を開いた)というような記述があります。前後の文脈も含めると、これは甘い飲み物だったようで、現代の甘酒もしくはどぶろくに近いものだったのではないかと考えられます。
『日本書紀』におきましては、日本酒も含めて酒に関連するとみられるワードが10以上出現しています。注目すべきは「天甜酒(アマノタムケザケ)」、「醴酒(コザケ)」というもの。
【甜】の文字は現在の「甜菜糖」などに使われる「甘い」意味の漢字。
【醴】の文字は見慣れないものですが、現代でもこの一文字で「甘酒」を指す漢字です。
いずれも別文献の記述などから、米を主原料にして一晩で完成する甘い酒だったことが有力とされており、まさにこれは米糀から作られる甘酒によく似た特徴です。
おそらくここにルーツがあるのではないか、というのが歴史学者の見解であるようです。
その後の醸造産業は自然中の菌類に頼る方法から進化し、作った製品から少し分けておいた「友種」を次の仕込みに使う方法が主流になりました。従来の方法に比較しても安定的に品質の整った製品が完成すると考えられます。
室町時代(14~15世紀)になると、麹菌を育てて販売する「種麹屋」が生まれました。
こうじ菌を専門に取り扱う業者が出現したことで製造業者における利便性も大きく向上し、醸造業界全体的に、製品の大規模生産やその多様化が広がったと思われます。
ちなみに、現在でも「種麹屋」と呼ばれる事業者が複数ありまして、当社のように醸造製品を作るメーカーは、そこからこうじ菌を仕入れて使うケースが多いです。
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「甘酒」は夏の季語だった!?
俳句の世界には「季語」という概念があります。春夏秋冬のその季節を象徴する動物や食べ物、行事などがこれに定められており、日本人の昔からの季節感を紐解くのにも大変興味深いものであると思います。
これを見ますと、「甘酒」「甘酒売り」「甘酒屋」「一夜酒」などの語が軒並み夏の季語とされていることが分かります。
現代はどちらかと言えば“冬の飲み物”であるというイメージが持たれがちな甘酒ですが、これにはどのような背景があるのでしょうか。
1850年頃(江戸時代後期)に編纂された『守貞漫稿』という文献に甘酒に関する記述があります。
いわく、江戸や大坂の街中では夏場になると甘酒売りが練り歩き、庶民のおやつとしてこれが提供されていたようです。一晩で作ることができるので「一夜酒」とも呼ばれ、手軽に栄養がとれるスタミナ飲料として多くの市民に愛されていたようです。
また現在でも名のあるいくつかの寺社(東本願寺、神田明神など)の門前では、甘酒を提供する茶屋があり参拝客の疲れを癒していたという記録もございました。〈甘酒=神社やお寺〉というイメージがあると思いますが、その起源はこのあたりに求めることができそうです。
この甘酒売りの呼びかける高らかな声や、売り文句が夏の風物詩と考えられていたのですね。
ところが昭和時代に入ったころからこの様子が変わってきます。
それまでは当店のように、専門の知識を持ちその扱いに慣れた人たちが甘酒を作り販売していました。徐々にこれを自宅で作る人が増えてくるという状況になりました(自家製甘酒ですね)。そこまで難しい技術を要しないものですので、材料さえ手に入れば自分で作るハードルは低いのです。
甘酒の作り方はおおざっぱに言うと、炊いたご飯と米糀をよく混ぜ、保温してしばらく寝かせます。 暖かい環境に、栄養豊富なご飯、菌が繁殖するのに最適な環境なんですね(しばらく放置 していたご飯にカビが! とショックな経験は誰しもにあるのではないでしょうか)。
当時は現在に比べても衛生環境が悪く、また蒸し暑い夏場にそんなことをしたらどうなる か、、、、
甘酒に起因する食中毒が激増し、徐々に暑い時期に飲むのは忌避されるようになってしま ったということです。「餅は餅屋」ではありませんが、「甘酒は甘酒屋」という認識があれば、また違った現代になっていたのかも知れません。
そのような経緯もあって、次第に夏の飲み物から“寒い時期に温めて飲むもの”という認識に変わっていったものと考えられています。
ただ近年は、「夏バテ対策に甘酒」といった言説もメディアなどでも目にするようになってきておりまして、徐々にその認識にも変化が生じているように感じます。
以上、長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。
CreemaSPRINGSでのプロジェクトの掲載にあたっては、Creemaの担当者とも内容や提供商品に関する打ち合わせを何度か重ねながら準備を進めていきます。
その際最初に提示したものが上記の原稿でした。
「小畑さん、甘酒にかける想いは分かりますが、さすがに長すぎるのでもう少しコンパクトにできませんか・・? 」そんなリアクションを貰ってしまいました。断腸の思いで半分ほどに内容を削った文章で公開しましたが、せっかくリサーチしたものを全く無駄にするのは憚られる。
というわけでこのような形になりました。
まだしばらくは暑さの残る日が続きそうです。お身体も大切に、お過ごしください。またお会いできる日を楽しみにしています。